一葉記念館と吉原神社を散策。当時の女性の辛苦を思う樋口一葉生誕145年の今

先日久しぶりに、たけくらべを始め、樋口一葉の作品を再読してみた。
全集を読み直していることもあり、以前から行きたいと思っていた台東区立「一葉記念館」に足を運んだ。
今年は樋口一葉の生誕145年とのことで(さほど切りのいい数字でもないがw)、当時の挿絵になった浮世絵記念展示なども開催されている。

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日本初の女性職業作家の誕生

記念館には、生い立ちや経歴などの年表のほか、交流のあった人々に関する資料が展示されている。
一葉(奈津)は学業優秀な普通の家庭の子女であったが、父兄の死後、結果的に戸主として家族を養うことになった時から、生涯生活苦と戦うことになる。

小学校高等科を主席で卒業した彼女だがその向学心は満たされることなく、その後は過酷な運命に翻弄されていくことになるのだ。
女性にはまともな仕事がない時代の話である。就職ともいえる結婚を意に沿わないものと断り、吉原近くの竜泉で荒物商を始めるが商売もうまくいかない(不自由なく普通に育った子女に、まして知的プライドの高い一葉にできるはずもないことだったと思うが)。

日に日に困窮していく中、書や和歌に素養のあった彼女は、商品として小説を書くことを決意する。
これが、日本で初の女性職業作家・樋口一葉誕生の経緯である。

奇跡の14か月

この時の竜泉で得た人間洞察や社会認識を昇華させ、後に「奇跡の14か月」といわれる短期間に「たけくらべ」「にごりえ」「一三夜」をはじめ数々の小説を執筆するが、才能惜しくも24歳で結核のため夭折した。
こうした一葉の作品は、現代では文体こそ読みにくいものの、今でも鮮やかな感動を呼び起こす力を秘めていると感じる。
しかしながら、一葉にハッピーエンドの作品は1つとしてない。
男尊女卑が著しい封建時代、苦界へ身を投じるなど辛苦とともに生きた女性はめずらしくなかったはずである。それでも一葉がことさら薄幸とされるのは、彼女の才能への賞賛と表裏一体なのであろう。

若くて未婚だった一葉については、その処女性が取りざたされることも多いが、彼女は幸いにも女性として本当の恋を知っていたと私は確信できる。
小説家としての扉を開き、彼女が思慕した半井桃水との関係は不明だが、それが桃水への一方的な苦しいものだったとしても、恋は恋だ。
そうでなければ、数々の作品の深みもさることながら、「厭ふ恋こそ恋の奥成りけれ」と書いた狂気寸前の心情のエッジに到達することは、とうていかなうものではない・・。

一葉は、1949年(昭和24年)に鏑木清方の筆による肖像が女性初の50円切手となり、2002年には近代女性としては初めて5000円札に取り上げられた職業婦人の先駆者でもある。

この時代ゆえに無理矢理開花させた才能だったといえなくもないが、いずれにしても開花した以上、若くして病没してしまった作家一葉にとって、無限の進展を今に残せなかったことこそが、斯界も含め最大の不幸に違いない。
下の写真は、一葉記念館の側にある吉原神社。この神社は吉原遊郭とともにあり、長い間、遊女たちの悲哀を黙って見てきたのだろう。

石碑は、吉原遊郭の歴史を永くとどめるために昭和35年に建立され、「花吉原名残碑」と刻まれている。

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